元和年間(1615~1623)に日守聖人が本隆寺を再建。その後寛文7年(1667)に五代藩主真田信利の母である慶寿院が改築して自らの法号を採って慶寿山と改めた。その後、寛文10年(1670年)下総古河の妙光寺住職日統が再興して妙光寺と称したと伝えられている。境内には慶寿院の他に、熊本藩改易の際に真田家に預けられた加藤清正の孫、正良といその母の墓もある。
慶寿院殿の墓(昭和51年3月30日重要文化財指定)
芝付の正面幅76.5センチに対し総丈311センチと比較的高さがあり、相輪と屋蓋の間には鮮やかな彫刻の蓮華台をつけた華麗な形態の宝篋印塔である。正面に『慶寿院殿妙久日栄大姉尊位』の刻銘がある。慶寿院は2代城主真田信吉の側室で5代城主伊賀守信利の母である。寛文7年(1667)に本隆寺を改築して慶寿山妙光寺と寺名を改め、自ら開基となり、寛文9年(1669)5月27日に没した。
釈尊涅槃会(2月15日)
2月15日はお釈迦様の入滅の日です。
最後の説法の旅に出られたお釈迦様は、クシナガラ郊外でついに動けなくなり、弟子に沙羅双樹のあいだに床を敷かせ、そこに頭を北にして、西向きに横たわりになりました。そして、弟子や集まった人たちが嘆き悲しむのを慰めながら、その夜半に静かに涅槃に入られたといわれています。その光景を描いた涅槃図を掲げ、お釈迦様の業績をたたえ、追慕、感謝するので釈尊涅槃会といいます。
宗祖降誕会(2月16日)
日蓮聖人の誕生を祝う法会。
1222(承応元)年2月16日に誕生されましたが、その日は、釈尊入滅の翌日にあたっています。また誕生の時、庭先で泉が湧き出し、浜辺には白い蓮の花が咲き乱れ、深海の 鯛が岸辺に群れ寄ってくるという不思議が起こったといわれています。
釈尊降誕会(4月8日)
お釈迦様の誕生した日を記念する法会。
花で飾られた花御堂に誕生仏がまつられ、甘茶をそそぎながら祝うので、またの名を「花まつり」とか「灌仏会(かんぶつえ)」といいます。
「妙光寺」は、お墓参りの檀家様や御参詣なさる全ての皆様に諸々ご奉仕させていただいております。
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